今年も3月11日がやってきた。
昨年は靖国神社にいたけれど、
今年は家でテレビの前に居座り、
追悼式の14時46分の黙祷に合わせて
目を瞑る。
こんなことしかできないのだから
情けないけれど、
震災から1か月後、現地へ取材に
向ったときのことを思い出す。
ヘリで上空から見た三陸の海岸は
すべてが流され、のっぺりとしていた。
何も残っていなかった。
私はカメラを向けながら
「なんだこれ」
「なんだこれ」
とつぶやいているだけだった。
NHKでは、被災者のアンケートを
発表していた。
「どうしてあれだけの被害が出たのに
世の中は原発再稼働に向っているのか。
人はこんなにも忘れてしまうものなのか」
という主旨のコメントをしている人がいた。
まったく同感だ。
もっとも、忘れてはいないけど
現実を見て見ぬふりをしている人が
多いのだと思う。
70年前だってそうなのだ。
昨日、3月10日は東京大空襲があった日。
(陸軍記念日でもある)
忘れるな、忘れるなと言ってみても、
歳月の経過とともに風化は免れない。
そして、見たいものしか見ない人々の
声のほうが、大きくなっていく。
当たり前にある日常が、
決して当たり前ではないことは、
いざ我が身に降りかかってこなければ
ピンとこない。
夕飯の買い物に出かけた。
空の青さも、梅花の可憐さも、
当たり前のように目の前にあるけれど
突然当たり前ではなくなるかもしれない。
ちょっと感傷的な気分になったところで、
近所(他人の家の庭)の梅をパチリ。